2008/11/22

Adobe MAX 2008 USA

MAX開催初日のサンフランシスコは暑かった。熱波が来ている。ということで気温は25度程度まで上がった。おかげで「不況」という印象がうすれた。
MAXの様子については表題リンクからいくつかの現地リポートを確認していただけると幸いだ。
ここではとりいそぎ、MAXでおめみえした新商品(現時点では未公開。ベータ版の公開は2009年初頭予定)のAdobe Flash Catalystの感想をメモしておきたい。
Adobe Flash CatalystはAdobe Flex Builder同様、Eclipsベースの「デザインツール」である。デザインツールということは、将来的にCSに含まれる見通しだ。
手短に説明すれば、アプリケーションの外観と動的効果の作り込みをWYSIWYGで行うためのツール。
でも、ちょっとはコードを書かなきゃいけないんでしょ?と思うかもしれないが、1つも書かなくてよいのである。
Catalystの詳しい説明はまたそのうち別の機会にしたいが、あくまで印象をヨタ的に述べる。
私はとても感慨深かった。
ここからまたはじまるんだな。という気分だ。
WebページをWYSIWYGで作る最初のツールはその昔、アドビが作った。PageMillといった。
PageMillはHTMLを書くという面倒な作業を肩代わりしてくれた。次にMacromediaがDreamweaverを作った。こちらのほうが性能的に上だったのでこっちを使う人が増えた。
その後ウェブコンテンツへのニーズも多様化した。外観のデザインと性能の両立というニーズは高まって、AdobeとMacromediaは結婚。Catalystちゃんはその3年後二人のあいだに生まれたはじめての子供である。
CatalystちゃんはFireworksが書き出すFXGという形式のモックアップデザインをうまく解釈する力がある。もちろんPhotoshopやIllustratorからもFXGは書き出せるが、いまのところFireworksと一緒に仕事をするのがとくいだ。
まだまだあかんぼなので、レイヤーの操作性がぎこちなかったり、解釈できないグラフィックのエフェクトはあるけれど、歩き出したということがだいじなことではないだろうか。
PageMillが出てきたとき、ウェブページの制作単価は下がった。
もしかするとCatalystちゃんもこの先その効率性でRIAの単価を下げる要因になるかもしれない。それがいいことかわるいことかはまだわからん。
が、とにかくRIAの裾野が今のウェブのように末広がりになることだけは、たしかだ。
それにCatalystちゃんよりもっといいWYSIWYG RIAツールがでてくるかもしれないし(え?もうある?)ね。
そして、MAXでいろいろな人の話をきくにつれ思う。
「クリエーティブの力で世界を変えるぞ!」どうもAdobeは本気でそう思っているみたいだ。
それが単なる戦略に対するメッセージであるとしても、その意気には共感する。

2008/11/13

その他のIEと今日から不在




今日明日と所用のため北海道に行ったあとAdobeMAX2008取材のためサンフランシスコにいってきます。
23日まで携帯電話はつながりませんがメールは確認いたします。

おまけ。最近のIEの擬人化

2008/11/12

オレもCSS Nite ビギナーズ


眠い。
今、とあるサイトのリニュアルデザインをやっています。
黒板五郎が丸太小屋を建てる速度でモックアップからCSSコーディングまで担当しているのですが、昨夜クラスであてがったはずのリストの背景画像(正確にはa要素の背景にしている)がIE6で行方不明。という事態の改善に3時間もかかった。
親divに無意味なposition: relativeがあったせいで・・。
や、それ以前に制作当初はSafariで確認しながらやっていたので、ブラウザコンパチブルチェックの時点でえらいことになっていたのですが。もうマントラを唱えながら(ウソ)祈るような気持ちでレンダリングしたんです。
例えるなら、結果は昔スキー場でコブジャンプに失敗したスキーヤーが板もストックも四方八方に飛び散って「つ」の字にケツから大地に刺さったのを見たときと同じかんじ。
わあバラバラ。すげー。でした。
ほとんどはCSSのエキスパートが見た場合噴飯ものの凡ミスでしょう。
でもここはあえて言わしてほしい。
クラスで一番の気難し屋さん、IE6君にふりまわされて先生もみんなもグッタリです!
このモンスターブラウザーめ!
どうしてみんなとおんなじように行動できないの?
マージンはマージンでしょうが!
みんないっしょうけんめい協力しあってるんだよ?なのに「だってうちはえらいんだもーん」じゃないでしょう。
ひとりぼっちで寂しくないの?お友達は大事にしなきゃダメよ!
といってゲンコツしてやりたい。
ハア〜。CSS Nite ビギナーズ、また東京でやってくんないかな。

2008/11/06

小室哲哉と佐野元春のあいだ

このことを考えて昨夜はほとんど眠れなかったのだが、旦那は「あんた、ファンやったからなあー。ぐひっ。ぐひひ(厨房時代の矢野の感性を蔑む音)。」という。
そうね。正直小室氏の顔、好きだったからね。あのころ写真集も買いましたね。
80年代を経たアーティストに起こったいろんなことの大きいのとして小室氏の顛末を捉えている私だが、今、アーティストで居続けている人とそうでない人の差はどこにあるんだといういろんな仮説が頭で暴れているのである。
当然「持てる音楽的才能の差でしょうが」という一般論も聞こえてきそうだが、もちょっと違う視点で、気持ちの有り様として「両者の差とは何か」と考えてしまうのだ。
そこでいろいろと調べているうちに見つけた記事

ネタフル「佐野元春ブロガーミーティング」レポート

を読んで、む、むーん。とうなってしまった。
記事にはメジャーレーベルを離れた経緯と現在のリリース体制が、本人発で解説してある。
佐野元春をご存知の人は彼が「いかにファンを喜ばせるか」という課題に対して継続的に努力を重ねた歴史を知っていると思う。また、2004年にリリースした復活アルバムのTHE SUNを聴いた人は、作り手として研鑽を積みながら今を生きている佐野元春のすごさにびっくりしたはずである。
今いろんな所に書いてある「時代を読み切れなかった小室」とかいう抽象的ないいまわしなぞどーでもいい。そもそも時代を読み切るなんて誰にもできるはずがない。そうでなく。夢枕獏言うところの「正しい答えには正しい問いが必要なのだ」というやつ。こっちの問題だ。
小室氏はどうしてファンを喜ばせることを第一に考えなかったかな。
そう思っているうちに
支持してくれる人に満足してもらうための努力にはなにがあるのかな。
という考えがぷっと出てきた。
例えば自分は今書籍や原稿を執筆したり、デザインをしていろんな人と繋がっているわけだが、ただ「つくるしくみ」の1パーツとしてのほほんとシステムにのっかってていいのかね?と将来を案じている。書いたり作ったりしているうちはそこまでたいして考えず、面白くしよう、喜ばれるようにがんばろう。ということだけであがいているのだが。小室氏の場合、目的がずれたまんまシステムに乗っかった状態だったので落っこちてしまったという気がする。
ものづくりする人間は制作とディストリビューションという役割分担を今後、どうやってやっていったらいいか。佐野元春が行動で示したことがいまさらながらすごーく自分ごととしてせまってくるのであった。
書籍の販売に関してシステムにのっかるしか手段が思いつかない私であるが、とりあえず伝える努力、人とつながる努力をしつつ、本末転倒せぬよう仕事の中身を充実させよう。と肝に命じている。

2008/11/02

学おじさん

解説時、敬称略。
下北沢本多劇場で2008年10月24日(金)~11月3日(祝)まで公演の喜劇「学おじさん」を鑑賞。出演者は伊東四朗、平田満、片桐はいり、馬渕英俚可、森本亮治、飯田基祐、吉田麻起子。
平田、片桐夫婦と大学デビューでやさぐれる息子森本の前に、平田の叔父と名乗る風水師の「学」さんとその弟子たち(馬渕、飯田、吉田)が現れてかき回す。というお話。

開演直後は片桐が圧倒的パワーで話をぐんぐん引っ張る。そのうち平田の気配の凄まじい殺し方に職人技を見る。満を持して登場した喜劇界の人間国宝伊東。声も抑えめだし枯れてるし、じいさん大丈夫?と最初は思うのだが話が進むうちに舞台どころか観客全員までもが伊東のペースに巻き込まれて行く。一拍完全にずらしたリズムを最後までキープしてまったくつかみどころがない。わりとほっこりした話なのに終わってみればこっちが汗びっしょり。もちろんそのペースを出演者全員で際立たせているのだが、インタラクティブを超えている。もう、伊東四朗、今他人だと思えない。
奇妙な役柄ながら片桐の立ち姿の美しさにも見ほれた。インタラクティブコンテンツ制作者で舞台鑑賞経験のない方がいらしたら是非小さい箱の作品に足をお運びください。

終了後はいりさんに挨拶しに行って、なんだか今日はとっても奇麗だった。と話したら「私、小学校の修学旅行で迷子になって、華厳の滝見てないのよねえー。ねえ、どうなの?華厳の滝って。」とぜんぜん違う話に。姉さん。どうなの?って、滝です。