2013/04/13

子供とか、まわりのみんなのためにホゲホゲするとかダメ


わたしは子供のために、とか、わたしはチームみんなのために(少々無理して)仕事する。
という、自分の行為に対する表現方法がありますね。
が、「人のため」は自分自身の行為の目的として妥当ではありません。理由は、それを目的にする場合のメリットとデメリットを見るとわかります。

※「人」がこちらの行為をどう受け取るか、という観測できない部分を排除するため、メリットデメリットは行為の主体である自分自身を中心に考えます

人のために何かをすることの
メリット
・その行為がどのような結果になろうと批判されにくい
・大義名分があるので行動するのが苦じゃない
・感謝されたときのうれしさが倍増する

デメリット
・行為の末、評価されないと非常に腹が立つ
・他人の利益にこだわるあまり、振り回されて損をするおそれがある
・そもそも損をしたことに気がつかないことがある

率直に書くと矢野はとんでもなくひねくれた人間に思えますね..
しかも一番重要なことが注釈になっています。人のためが目標としてダメなのは、結局そうやったところで肝心の「人」が自分の行為をどう評価したか、ちゃんと観測できないために、結局「ためになったかなど、どうせわかんねえ」という点です。
なので目的としておおいに間違っている。
誰かのためになりたいなーという希望は純粋に「良いこと」ですが、それを目指すんであれば、あくまで行為の目的は「自分のため」にして、それが結果的に「他者から主体的に」感謝されるという(結果)を座して、勝手に待ってろよ。と。

私も過去に覚えがあるけれど、だいたい「人のため」とうっかり言ってしまう行為にかぎって、わりと自分勝手な都合の発露を遅らせたい。という下心があるものだったりします。
だから、わたしは人のためと簡単に言ってしまう人を「ニヤニヤ」と思ってしまいますし、気をつけようと思います。
ただし「あの人のすることは常にみんなの利益になるよね」のように第三者を評価する目的で使ったり、子供などがそういう評価を他者に出来るように望みつつ「人様のためを思うのはよいことだね」と言って訊かしたりするのはアリですね。



Aphex Twin がとても有名になったアルバム「I Care Because You Do」いいタイトルですねー。「あなたがしてくれなきゃ、ぼくはあなたを相手にしてあげない」くらいの意味でしょうか。子供ってそういうもんですよね。