2014/03/17

いいじゃないか。パクリでも

こういうことを言うとすごく叩かれるのですが、受け手がわが創作物の「パクリ」ものを「パクリはだめよ」と反射的に批判する現象がどうしても馴染めません。
例えば、ある絵画の贋作があったとしてですよ。本物を鑑賞したことがない人が、その贋作見て感動とか、インパクトを、受けたとしますよ。

それでいいと思うんですよ。心を動かされることが芸術をはじめとした創作物の鑑賞の効能ですから。
後にそれが贋作だったと知ったって、だからどうした。と、自分の審美眼、感性を尊重すればいい話だと思うのです。

もちろんもうけの取り分の話として創作物にまつわるビジネスをやっている人間が、パクリを商売の邪魔者扱いして憤るのは当然だと思いますが、それは創作物の存在意義とはまた別の話です。
「だまされた」とかいって受け手側が怒っているのをみても、いいじゃないか..。そんときそれを有難いと思った自分をそんなに否定しなくていいさ..。とおもいますよ。
本物だから有り難がってみたたけです。ということなら同情するのですけども。

パクリうんぬんは酒の肴として語りやすいという側面もあるのは理解できますよ。最終的には著作権法違反という答え合せもできますし、ルールの話しなら私正解!あんた、間違いー。みたいな楽しみかたもできるでしょうから。
だけど、アタリもハズレも関係ない、感性についてが創作物にまつわる話題であんまり取りざたされないのって、つまらんなー。とおもうですよー。


ところでピカソ大先生の作品で私が苦手な1品。これはあかんわー。「こいつ泣いてるようにみえるけどホンマはそんなしおらしい女ちゃいまっせ」的なピカソ先生の嫌味すら感じるできばえです。青の時代の作品とかは好きなのあるんだけど、女性を題材にしたキュビズム時代の作品になぜだか悪意を感じてしまいます。
この頃の先生、女性に恨みがあるんじゃないかしら...。それを形にできるってのはそれですごいけど...。